神戸地方裁判所 平成5年(ワ)1052号 判決 1997年5月20日
原告
大澤靖志
右訴訟代理人弁護士
森博行
被告
国
右代表者法務大臣
松浦功
右指定代理人
塚原聡
同
長田賢治
同
坂井盛男
同
鈴木日出男
同
久埜彰
同
渡邊伸司
同
泉宏哉
同
黒田正満
同
田中健
同
野原孝弘
同
松村康生
同
領家嗣郎
同
高橋誠司
主文
一 被告は、原告に対し、金七四九四円及びうち金三七四七円に対する平成五年五月一九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用は、これを四分し、その一を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。
事実及び理由
第一請求
被告は、原告に対し、金一二万五六〇六円及び内金九〇五六円に対する平成三年八月一七日から、内金一〇万円に対する平成五年四月一七日から、内金三七四七円に対する平成五年五月一九日から、各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
本件は、平成三年七月一八日及び平成五年三月一〇日の欠務について賃金をカットされた原告が、前者については口頭で有効に年次有給休暇(以下「年休」ともいう。)を請求していたとし、後者については年休の不承認が違法であるとして、被告に対し、右各カット分相当額の賃金及び同額の付加金を請求するとともに、後者の欠務についてされた訓告処分が違法であるとして、慰謝料の支払を求めた事案である。
一 争いのない事実等
以下の事実は、当事者間に争いがないか、証拠(<証拠・人証略>)及び弁論の全趣旨によって容易に認められる。
1 原告は、昭和四八年四月一日、郵政省京都郵政研修所に事務官として採用され、同年四月一五日、東灘郵便局(以下「東灘局」という。)集配課(郵便局組織規程の改正により後に「第一集配課」となる。)勤務となり、昭和五〇年六月四日、郵政事務官に任ぜられ、同日以降、郵政外務に従事する国家公務員である。
2 第一集配課の業務には、外務と内務があり、原告の属する外務の主たる取扱業務は、神戸市東灘区西側区域の郵便物の取り集め、配達であった。
本件当時は、右区域は、二五区の普通郵便配達区(通配区)及び五区の速達郵便配達区(速配区)とに分かれていた。
外務作業の担務は、郵便課から午前八時四五分ころ各通配区ごとに区分された普通通常郵便物の交付を受け、各配達区担当者において、さらに細かく配達順路に従って区分(道順組立作業)し、書留通常郵便物と一緒に配達する通常配達担務(通配担務)と、速達郵便物の配達及び通常郵便物の配達補助からなる混合担務に大別された。
速達郵便物は、左記のとおり、郵便課から一日三回交付を受け、それぞれを配達していた。
交付時刻 速達便名
午前七時四〇分ころ 速達一号便
午後一時一〇分ころ 速達二号便
午後四時一〇分ころ 速達三号便
外務員の勤務形態には、日勤と中勤があった。日勤の仕事の内容は通常配達と速達配達であり、勤務時間は午前八時から午後四時四五分まで(途中四五分間の休憩時間)であった(日勤符号2)。中勤の仕事の内容は速達配達と集荷であり、勤務時間は午前一〇時半から午後七時一五分まで(午後零時四五分から同一時三〇分まで休憩時間)であった。
3 原告の担当業務は、平成三年及び平成五年当時、混合担務であり、勤務形態は、月水金の各曜日が中勤、火木土の各曜日が日勤2であった。
4(一) 郵政省においては、年休について、関係労働組合との間で、年次有給休暇に関する協約や同付属覚書等を締結し、右協約等を受けて、郵政省就業規則中に年休に関する規定をおいている。
(二) 郵政省就業規則は、年休を付与する方法として、計画付与と自由付与の二種類がある旨定め(八一条)、自由付与の請求手続として、次のとおり定めている(八六条)。
(1) 職員は、自由付与にかかる年休を請求する場合には、所属長に対し、その希望する日の前日の正午までに請求書を提出しなければならない(同条一項)。
(2) 病気、災害その他やむを得ない事由によってあらかじめ休暇を請求することが困難であったことを所属長が認めたときは、職員は、その勤務しなかった日から、週休日及び祝日を除き、遅くとも三日以内に、その事由を付して請求書を提出することができる。ただし、この期間中に休暇を請求することができない正当な事由があったと所属長が認めたときは、右の期間を超えて請求書を提出することができる(二項)。
(三) 東灘局においては、東灘郵便局分任内規により、職員の年休処理を行う「所属長」の権限は、東灘郵便局長から各課長に分任されていた。
(四) また、同就業規則第一一条は、職員が所定の勤務時間に執務できない場合には、あらかじめ所属長に申し出てその承認を得なければならないと規定している。
5(一) 原告は、平成三年七月一七日午後六時一五分ころ、東灘局に電話し、口頭で同局第一集配課上席課長代理(当時)である渡部国勝(以下「渡部上席」という。)に対し、翌一八日を年休としたいと申し出た。
(二) 原告は、一八日午前一一時一〇分ころ、東灘局に電話した。これに応対した同局第一集配課長(当時)の川井勝次(以下「川井課長」という。)は、原告に対し、年休の承認はできないのですぐに出勤するようにと命じたが、原告は、同日、出勤しなかった。
(三) そのため、原告は、右欠勤に相当する九〇五六円を同年八月一六日支給の給与から減額された。
6 平成五年三月八日、東灘局の虎城職員が死亡し、同人の告別式が同月一〇日に行われた。
原告は、同月九日午前九時三〇分ころ、同局備付の「年次有給休暇請求書」に所定事項を記入してこれを同局第一集配課長(当時)であった松尾哲夫(以下「松尾課長」という。)に提出し、翌一〇日を年休としたいと申し出た。これに対し、同課長は、午前九時三六分ころ、原告に対し、右年休については休暇者がいるので承認できない旨告げ、時季変更権を行使した。
そこで、原告は、一日間の年休が無理であるならば、始業時から三時間の時間年休を取りたいとして、前記請求を撤回した上、その場で前記請求書の記載を三時間の年休に訂正したが、松尾課長は、この年休請求についても業務支障が生じ、承認できないとして、時季変更権を行使した。
原告は、翌一〇日午前一〇時三〇分から午後二時一〇分まで、休憩時間を除いた二時間五五分出勤しなかった。松尾課長は、原告の右欠務について欠勤処理を行い、原告は、右二時間五五分の欠勤に相当する三七四七円を同年五月一八日支給の給与から減額された。
7 原告は、同年四月一六日、「平成五年三月一〇日、みだりに勤務の一部を欠いた」という理由により、郵政部内職員訓告規程に基づき、東灘郵便局長から訓告処分(以下「本件訓告処分」という。)を受けた。
二 主要な争点
1 平成三年七月一八日の年休について
(一) 原告の年休の請求は有効なものといえるか。
(二) 有効な請求があったとして川井課長に時季変更権の行使の要件があったといえるか。
2 平成五年三月一〇日の三時間の年休請求について、松尾課長の時季変更権の行使は適法か。
3 本件訓告処分の適法性及び損害の有無
三 原告の主張
1 平成三年七月一八日の年休について
(一) 原告の勤務する職場においては、年休の事前請求手続(就業規則八六条一項)に反する口頭による年休申請がしばしば行われ、これに対しては、口頭による承認がされており、事後の書面提出は、単なる形式的かつ確認的なものにすぎなかった。
(二) 原告は、七月一七日午後六時ころ、東灘局に電話を架け、渡部上席に対し、口頭で翌日の年休を請求し、同上席は、川井課長にその旨報告したのであるから、その時点で、有効な年休請求が行われたのである。そして、川井課長は、一八日午前、右年休請求は承認できないと回答したのであるから、このときに時季変更権が行使されたと認めることができる。
(三) 仮に、(二)の口頭による年休請求が無効であるとすれば、次いで事後請求(就業規則八六条二項)の問題となる。本件では、一九日、原告が出勤したところ、出勤簿の前日一八日の欄には、既に「欠勤」の判が押され、欠務処理がされていた。原告が上司に対して面談を求めたところ、手続規定どおり、前日の正午までに請求書が提出されなかったから年休処理はできないと告げられるのみで、年休の事後請求を執る機会も与えられなかった。
被告の年休請求手続の右のような運用は、労基法三九条に違反するものであり、このような場合は就業規則の年休請求手続規定とはかかわりなく、原告の適法有効な年休請求があったものとして、これに対する時季変更の要件が問われるべきである。
すなわち、原告は、七月一七日、日帰りの予定で免許取りたての友人とともに舞鶴までバイク走行をしたところ、右友人が疲労困憊した様子であったため、年休が取れるのであれば一緒に宿泊して帰ろうと考え、舞鶴から午後六時ころ、口頭で年休請求を行ったのであり、事前に書面で年休請求ができなかったことについてやむを得ない事情があったものである。しかるに、局側は、原告に対し、年休の事後請求を行う機会を与えず、問答無用で欠勤扱いにしたものであり、このような局側の態度は、労働者に年休権を保障した法の趣旨に反する違法なものといわざるを得ない。そこでこのような場合には、遡って前日一七日に行われた口頭での年休請求を有効視するか、または翌日一九日に原告があえて行った口頭請求を有効視すべきである。
(四) そうすると、検討すべき問題は、いずれにしても、時季変更権の要件である事業の正常な運営を妨げる場合であったか否かということであるが、一八日当日はそのような場合には該当しなかった。
2 平成五年三月一〇日の時間年休請求について
(一) 原告は、平成五年三月九日午前九時前ころ、年休請求書を提出した。すると、松尾課長から、「明日は、一五人から休みがおるからあかんわ。」と言われたので、原告が、同課長に対し、「うちの班は二人しか休みがおらんから大丈夫と違いますか。」と述べたが、同課長の意見は変わらなかった。
そこで、原告は、一〇日の勤務指定表を確認したところ、同日の休職予定者は一三人となっていたため、松尾課長に対し、「一五人と言うとったけど、一三人しかおれへんやん。」と言ったが、同課長は、年休は認められない、時季変更すると言った。
(二) 東灘局においては、平成三年五月九日以降、局側の主張する休暇定数を上回った休暇予定者がある場合の年休請求については、時季変更権を行使すべく指導が徹底されるようになった。しかしながら、被告の主張する休暇定数なるものには、以下で示すとおり、一片の合理性もない。
(1) 三月一〇日当時の第一集配課の定員数は次のとおり外務定員四六名、内務定員四名の併せて五〇名であった。
(外務定員) 合計四六名
一班 九名
二班 九名
三班 九名
四班 八名
九名
課長代理 二名
(内務定員) 合計四名
計画係 二名
副課長 一名
課長 一名
(総定員数)四六名+四名=五〇名
(2) 一日の勤務に要する人員は、外務については次のとおり合計三三名であった。
通常配達(二五区分) 二五名
速達日勤(四区分) 四名
速達中勤(三区分) 三名
課長代理 一名
(3) 以上のことから、集配外務については、一日最大一三名の休暇取得が可能である(四六名-三三名=一三名)。
(4) 他方、職員一人に与えられた年間休暇日は次のとおり一一七日である。
週休日 五二日
非番日 三九日
特別休暇 六日
年次有給休暇 二〇日
(5) これを外務職員四六名について計算すると年間の延べ休暇日数は合計五三八二日(一一七日×四六人=五三八二日)となり、一日平均一四・七人の休暇枠が必要である(五三八二日÷三六五日≒一四・七日)。
すなわち、各職員に与えられた一年間の年休取得という観点からみても、一日一一名の休暇定数では年休全部を消化できない。
現に、本件直後の平成三年三月中旬以降には第一集配課の休暇定数は一一名から一三名に変更された。また、同月一九日にはなんと一七名が休暇を取っており、不承認欠勤は一名もいなかった。
(三) また、当日の休暇取得状況からみても、被告の主張する休暇定数一一名には疑問がある。
すなわち、三月一〇日は、当初一三名の休暇予定者がいたが、うち一人が休暇を取り消したため、一二名になった。その内訳は、次のとおりである。
(休暇の種類) (氏名) (所属班)
非番 小林敏幸 一班
同 瀧本慎一 一班
同 山地希芳 二班
同 岡一弘 三班
同 吉野修一 四班
同 谷村康弘 五班
計画年休 井上信悟 四班
自由年休 長澤明義 二班
自由年休 鳥居正男 三班
代替休暇 富島猛 二班
病気休暇 荒田弘与喜 一班
病気休暇 柳生輝夫 二班
ところが、原告が年休を請求して拒否された後、原告と同じ班であった仲村和則が右同日夕方、年休を申請したところ、これが認められた上、なぜか計画年休として受理された。また、翌一〇日当日になって四班の阪本康典が突発欠務したが、これも賃金カットの対象となる不承認欠勤とはされなかった。これらの事実は、三月一〇日の休暇枠に余裕があったことを示すとともに、原告に対してのみ、偏頗な取扱いをしたことを示している。
(四) 平成三年三月一〇日における原告の担務を検討しても、原告の時季指定により、作業に支障が生じるおそれがあったとは認められない。
すなわち、原告の当日の担務の種類は速達中勤であり、勤務時間は午前一〇時三〇分から午後七時一五分までであった(休憩、休息時間は午後零時四五分から午後一時三〇分まで)、そして、原告が時季指定した三時間の時間年休は、始業時から午後零時四五分までの二時間一五分及び午後一時三〇分から午後二時一五分までの四五分間の合計三時間であった(ただし、実際に勤務しなかったのは、午後二時一〇分までの二時間五五分であった。)
速達中勤の作業内容は、午前中通常配達の補助を行い、午後一時三〇分から速達二号便の区分、道順組立、配達等の作業を行うという内容であった。したがって、「支障を生ずる」おそれがあった作業とは、午前中の通配補助作業と午後の四五分間の速達配達作業である。
午前中の通配補助作業とは、専属の担当者が配置されている通配区の区分や道順組立、持ち戻り郵便物の後処理等の補助作業にすぎず、欠区を生じるということはあり得ない。また、通配区と異なり、速達区においては常態的に欠区を生じていたのであり、非常勤措置で補っていた。当日の非常勤は、次のとおりであった。
通常配達一班 一名 岸
同二班 一名 山本
同三班 一名 田中
同四班 一名 衣笠
速達中勤一区 一名 藤本
同二区 一名 加藤
速達中勤二区は、原告の担当区であり、東灘局は原告の担当区について非常勤職員を配置していた。
(五) したがって、休暇定数、休暇取得状況、作業内容のいずれの点から見ても、平成三年三月一〇日に原告に対し年休が与えられたとしても業務の正常な運営に支障を生じるとはいえない。局側の真の意図は、虎城職員の葬儀参列を妨害することにあったといえ、なりふり構わず年休規制を行ったことは、年休の自由利用という労基法の精神に反することが明らかである。
3 本件訓告処分について
平成五年三月一〇日の一日年休及び三時間年休の不承認は、労基法三九条四項に違反する違法なものであるから、同日三時間勤務しなかったことを問責対象とした本件訓告処分は、国家公務員である東灘郵便局長の故意又は過失に基づき行われた不法行為である。原告はこれにより少なからず精神的苦痛を被り、この損害を金銭に評価すると一〇万円を下らない。
四 被告の主張
1 平成三年七月一八日の年休について
(一) 郵政職員の年給請求の時期及び方法について、就業規則八六条一項等の規定は、その希望する日の前日の正午までに年休請求書を所属長に提出することとしている(一4(二)(1))が、右のような定めは、所属長が時季変更権を行使するか否かの判断をするのに必要な時間的余裕を与えると同時に職員の服務時間を事前に変更して代替要員を確保するのを容易にすることにより、時季変更権の行使をなるべく控えられるようにする趣旨であり、また、時季指定権行使の存否、時期及びその意思表示の内容を書面によって明確にすることにより多数の職員の年休の円滑な管理、運営を図る趣旨によるものであって、しかも、前日の正午までに書面の提出を要求しても職員に過大な負担を課すものではなく、それにより時季指定権の行使が著しく困難になるというものではないから、年休の時季指定権の行使時期、方法の制限として合理的なものということができる。
また、就業規則八六条二項等の規定は、就業規則一一条に基づく所属長の承認を得た欠務につき、職員自身の責に帰すことができないような事由によって事前に時季指定することができず、やむを得ず欠務した場合についてまで、すべてこれを欠勤として給与の減額をするということは酷にすぎるということから認められた例外的措置である。
(二) 本件の場合、原告が七月一七日にした電話による年休の申出は、右就業規則の規定に違反し、有効な年休請求(時季指定)とは認められない。
原告の申出は、就業規則一一条の欠務の申出にすぎない(ただし、原告は、それについて、承認を受けていない。)。
(三) また、原告は、七月一九日に至っても事前に年休請求書を提出できないやむを得ない理由があった旨の疎明をしておらず、年休の事後請求の要件も満たしていない(川井課長は、欠区が生じることになったとしても、欠務を承認せざるを得ないようなやむを得ない理由があることを考慮して、原告の欠務の具体的な説明を求める必要があると考え、原告から再度電話が架かるのを待っていたところ、その日原告からの電話はなかった。)
(四) 以上のとおり、原告の申出は、適法な年休請求でないことは明らかであるから、年休の請求に対する時季変更権の行使の要件の有無を判断する必要はないところであるが、以下の事実経過に照らせば、原告の申出の際に、客観的にも時季変更権の要件が備わっていたといえる。
(1) 七月一七日午前八時三〇分ころの時点で東灘局郵便課においては約一万五〇〇〇通の普通郵便物の不結束(定められた時刻に所定の処理が完了せず、集配課への受渡し、交付ができないこと。)が発生した。この不結束郵便物は、翌一八日の要配達郵便物となるため、その時点以降の郵便物数等も考えあわせると、翌一八日の要配達郵便物数は、平常郵便物数をはるかに超えた物数となることが予想された。川井課長は、第一集配課の業務運行の責任者として、翌一八日の予想される要配達郵便物数を踏まえ、要員配置状況を再検討したところ、夏季休暇が集中する時期でもあり、一七日の時点における翌一八日の要員配置状況は、通配担務は一区一名ずつの二五名を配置できていたものの、混合担務については、日勤勤務者は、原告しか確保できないような状況にあった。
(2) 第一集配課においては、混合担務に要員が配置できない場合には、非常勤職員を配置するか、他の配達区に入っている職員が超過勤務等を行い応援するか若しくは課長代理が応援に入るなどしていたが、一八日については要配達郵便物が平常物数をはるかに超えることが予想される状況にあったことから、通配担務に就いていた職員に応援を求めることができない状態であり、混合担務の職員が本来行うべき通配担務の応援を期待できなかった。そこで、川井課長は、一八日の業務運行に当たっては、混合担務の日勤勤務者として外務担当の課長代理二名及び非常勤職員一名を配置することによって、業務支障を最小限にとどめるように応対することとし、このような業務運行状況に照らし、一八日の年休付与は困難な状況にあったことから、仮に職員から休暇の申出があった場合には、自らの指示を仰ぐようにと渡部上席に指示していた。
(3) 川井課長は、原告から電話があった時刻が当日の日勤勤務者の勤務時間終了後であり、右職員は、既に帰宅してしまっていたこと、また、一七日の中勤勤務者は既に翌日の通配担務に指定されていたことから、仮に原告の欠務を承認し年休を付与することとした場合、その後補充要員を確保することは困難であり、原告が担当することとなっていた区を欠区(配達を担当する者がいない区)とせざるを得ず、原告が欠務した場合、業務に支障が生じると判断した。
2 平成五年三月一〇日の年休について
(一) 平成五年三月一〇日の年休に関しては、所属長において、原告の請求した時季に年休を原告に与えることが業務の正常な運営に支障を生じると認めたため、時季変更権を適法に行使したものである。
松尾課長は、平成五年三月九日午前九時三〇分ころ原告が提出した年休請求書については、翌一〇日の要員配置状況や予想される業務運行の状況等を検討したところ、同課においては休暇定数(正常な業務運行を図るに当たって許される休暇付与の最大人員数)が一一名のところに既に一二名が休むことになっており、必要配置人員を割り込む状況であったこと、更に、翌一〇日においては、もう一名の職員をはずさなければならないことも予想されていた(当該職員について、一〇日午前九時から兵庫郵政監察官室監察官からの事情聴取が予定されており、一部の管理職はその予定を知らされていた。)ことから、原告に年休を付与すると欠区が生じ、他に代替要員を確保することもできないため、業務運行上支障が生じると判断した。
また、松尾課長は、原告が記載を訂正した三時間の時間単位の年休請求書についても、業務支障が生じると判断した。
(二) 原告からの三時間の年休請求について、正当(ママ)な業務運行に支障があることの具体的な事情は以下のとおりである。
すなわち、原告は、当日の中勤勤務として、午前中は三班の道順組立などの通配担務にかかる局内作業の応援を行い、午後からは非常勤職員(加藤)の応援を受けながら、速達二号便二区の配達を行うことが予定されていた。
速達二号便については、午後一時一〇分ころに、郵便課から郵便物が交付され、午後二時一〇分ころまでに配達準備作業を完了して局を出発しなければならない。原告に三時間の年休を付与すると勤務に就くのは午後二時一五分になってしまう。しかし、この時期は、合否通知などの速達郵便物が多く到着することが予想されていたため、原告の出勤を待って速達二号便を処理させては、大幅な遅配が生じることは必至であった。また、課長代理には、それぞれ予定されていた業務があり、課長代理を配達作業に従事させることは困難であったし、通配担務の職員は、午後の通配に向けての準備作業中であるか、又は現に配達途上であり、これに応援を求めることは困難であった。
(三) 休暇定数について
原告は、右年休請求当時の休暇定数は一一名ではなく、一二名あるいはそれ以上であると主張するようである。
しかし、当時第一集配課の定員は五〇名であり、うち、実際に外務作業に従事する職員は四四名であったところ、うち通配担務については、二五の通常配達区(通配区)に各一名が必要であり、混合担務については八名の職員が必要であるから、その余の一一名が休暇定数であった。
もっとも、当時、混合担務では本来要する八名の職員をそのまま配置することはせずに、日勤四名と中勤三名の計七名を充てることとし、混合担務において不足する要員には、非常勤職員を配置することとしていた。しかしこれは、当時、第一集配課において、通配担務を担当している職員の中に通常よりも低い能率の職員がいること、勤務軽減による時間病気休暇付与により発生する欠務をカバーする必要があることから、業務応援が必要な通配担務への配置を計画的に行っていたものである。したがって、要員差繰りをして捻出した一名の要員は課全体の業務を円滑に運営するために必要不可欠な要員であった。
なお、第一集配課の月曜日を除く休暇定数が、平成二年度から平成三年度にかけての一時期、一五名にまで拡大した事実はあるが、平成四年四月からは従前の休暇定数である一一名へと修正された。
(四) 他の職員に対する休暇付与について
(1) 仲村について
仲村は、三月九日午後四時三〇分ころ、土居副課長に対し、朝から熱があり身体がだるいので、翌日病院に行きたいという理由で年休がほしいとの(ママ)申し出た。土居副課長は、その時点において、翌日の要員配置が休暇定数を超えていたことから、仲村に対し、翌日の要員配置の状況を伝えた上で、出勤できる状態ならば出勤すること、万一出勤できない状態であれば必ず電話をするようにと指示を与え、仲村も了解した。しかし、翌一〇日、午前七時三五分ころ、仲村から体調が悪いので休ませてほしいという申出があったため、年休を付与することとした。この年休は自由付与の年休である。
(2) 阪本について
阪本は、三月一〇日午前七時五五分ころ、かぜを引き熱があり、頭が痛いので休ませてほしいと申し出た。これに対しては、病院に行き診療を受けるように指導した上で同日の欠務を承認し、後日同人からの事後請求により病気休暇を付与した。
3 本件訓告処分について
以上のとおり、原告は平成五年三月一〇日の年休を取得していないのであるから、東灘郵便局長が、原告が同日にみだりに勤務の一部を欠いたものであるとしてした本件処分は適法である。
第三争点に対する判断
一 平成三年七月一八日分の年休請求について
1 証拠(<証拠・人証略>)及び弁論の全趣旨によれば、原告による年休請求に関する事実経過として、以下の事実が認められる。
(一) 原告は、友人の中谷某(以下「中谷」という。)と平成三年七月一七日に舞鶴までバイクでの日帰り旅行に行くことを計画し、川井課長に対し、前日一六日の夕方に、年休の請求をして承認された。中谷は、一七日、一八日の両日、休暇を取得していた。
(二) 原告は、一七日の朝(以下日付を特に記さない場合は同日のこととする。)奈良県にある中谷の家まで同人を迎えに行き、同所を昼過ぎに出発し、夕方の五時半くらいに、目的地である舞鶴に到着した。
中谷がバイクの免許を取得したばかりで長時間の運転にまだ慣れておらずかなり疲れている様子であったことから、原告は、中谷と共に宿泊しようと考え、翌一八日の年休を請求するため、午後六時一五分ころ、舞鶴港のフェリーセンター待合所から東灘局に電話をした。そして、渡部上席が右電話を受けた。
原告は、渡部上席に対し、川井課長がいるかと尋ねたところ、渡部上席は、川井課長は局議のため自席を離れていると言った。そこで、原告は、副課長の土居(当時。以下「土居副課長」という。)がいるかと尋ねると、渡部上席は、土居副課長はすでに帰宅していることを伝えた。そこで、原告は、渡部上席に対し、「明日のことやけど休みどないやろう。」と尋ねたところ、同上席は、少し待つようにと言った後、「まだ枠が一つ空いている。」と答えた。そこで、原告が、「それなら明日、年休頼むわ。」と言うと、渡部上席は、「ちょっと待ってよ。もう一回電話できるか。」ともう一度東灘局に電話をするように原告に促した。原告が「ちょっとできひんねん」と言うと、渡部上席は「ほな言うとくわ。」と言ったので原告は電話を切った。
川井課長が、午後七時過ぎころ、自席に戻ってきたので、渡部上席は、川井課長に対し、午後六時一五分ころに原告から年休を取りたい、明日休ませてほしいという電話がかかってきたので課長が不在であるからもう一度電話をしてくれと言ったこと、原告が年休を取りたいという理由は聞いていないことを報告した。川井課長は、仕事をしながら原告からの電話を午後八時ころまで待っていたが、原告からの電話はなかった。
原告と中谷は、その後、舞鶴から移動して、福地山で宿泊した。
(三) 川井課長は、一八日午前一〇時ころ、原告から局への連絡がなかったため、原告の自宅に電話を架けたところ、原告は不在で、その妻が電話に出た。川井課長は、妻に対し、原告と連絡がとれた場合はすぐ出勤するよう伝えてほしい旨言って、電話を切った。また、同課長は、午前一〇時五分ころ、原告宅へ出勤を促す電報を打ったが、原告の妻は受取りを拒否した。
妻からの連絡を受けた原告は、午前一一時ころ東灘局に電話をし、川井課長に対し、「電話したり、電報を打ったり、嫌がらせやないか。昨日、渡部上席に年休を申し出ているやないか。」と言うと、川井課長は、「今日は日勤なので出勤するように通知した。年休は承認していない。渡部さんから電話のあったことは聞いている。しかし、渡部上席はそのときに自分では承認できない、あとで連絡をくれと言っているんだから当然連絡がくると思っていた。今日は業務運行上も年休は承認できない。すぐ出勤しなさい。」と言った。すると、原告は、「物理的に無理や。近くにいない。車で三時間ほどかかる遠いところにいる。」と言い、川井課長の問いに対しても、所在を明らかにしなかったため、同課長は「どこにいるのかということも言えないのであれば、出勤できない疎明にならない。とにかくすぐ出てこい。」と更に出勤することを促した。これに対し、原告は、「今からでも年休の承認頼むわ。」と述べたが、川井課長は、「もうあかん、出てこんかったら承認できてないんやからこれは欠勤や。大澤君が行く郵便置いてあるねんからちゃんと出てきてや。」と言ったところ、電話が切れた。
東灘郵便局長は、原告の欠務を承認せず、同日を欠勤とした。
(四) 原告は、七月一九日出勤し、出勤簿に判を押そうとしたところ、一八日の欄に「欠勤」の印が押されていた。原告は、これを見て、一九日午前一〇時ころ、川井課長に対し、欠勤とはどういうことかと質したところ、同課長は、一七日の請求は聞いていない、年休にはなっていないと答えた。そこで、原告は、その場で、今から年休を申請したい旨申し出たが、川井課長は、これを取り上げず、その場に同席した副局長が承認権者が認めていない旨述べた。
(五) 原告は、一九日以降も、年休を請求する書面は提出しなかった。
2 以上の事実関係を前提として、原告による一七日の年休請求の有効性(争点1(一))について判断する。
(一) 労働者は、労基法三九条一項、二項の要件を充足することによって当然に年休を取得する権利を有しており、使用者が同条四項の時季変更権を行使できる場合以外は、同項に定められている時季指定権を行使することによって年休を取得する。右時季指定権の行使の時期、方法について、同項には特に定められていないが、郵政省においては、就業規則八六条一項で前記第二、一4(二)(1)のとおり、行使の時期、方法について定めている。就業規則八六条一項が年休請求について時間的な制限を定めている点については、使用者に時季変更権を行使するか否かの判断をするための時間の余裕を与えるとともに、職員の勤務割を変更して代替要員を確保することを可能にすることで時季変更権の行使をできるだけ控えるようにする趣旨であると考えられる。また、同項が書面による請求を要求している点については、時季指定権の存否、時期及び請求の内容を明確にすることによって、年休の管理、運営を適正に行う趣旨であると考えられる。そして、右のように年休の請求を前日の正午までに書面で行うように定めても、これによって労働者の時季指定権の行使が著しく困難になるものではないから、年休の時季指定権の行使時期、方法の制限として合理的であるといえる。したがって、このような年休の事前請求に関する就業規則の定めは、労基法三九条四項に違反するものではなく、有効なものということができる。
これを本件についてみると、原告が七月一七日に渡部上席に対してした申出は、「前日の正午まで」という時期の点でも、「書面により」という方式の点でも事前請求に関して就業規則で定める要件を具備していない。したがって、右申出は、就業規則八六条一項の事前請求としては無効なものである。
この点に関し、原告は、東灘局において、年休の事前請求手続の要件を具備しない口頭による年休請求がしばしば行われ、これに対し、口頭による承認が行われていた旨主張するが、仮に、そのような運用が一部あったとしても、本件全証拠によっても東灘局において、そのような年休請求が法的に有効なものと扱うべき状況があったとまでは認めることはできない。また、本件全証拠によっても、東灘局において事前請求手続が形骸化していたとの事実を認めることはできない。
(二) もっとも、突発的なやむを得ない事情により希望する日の前日の正午までに書面で年休請求をすることができなかったときに、請求が事前に書面でされていなかったという一事をもって、一切、有効な年休請求として認められないとすることは、場合によっては法の趣旨に沿わない結果となることがあり、有効な事前請求ができなかった場合であっても、それがやむを得ない事情に基づくときは、その事情が止んだ後に速やかに書面で請求をした場合には、使用者はこれを有効なものとして取り扱うよう配慮すべきである。事後請求に関する就業規則八六条二項の定めは、そのような場合の年休請求に関する手続について規律したものと理解するのが相当である。
これを本件についてみると、前記認定のとおり、原告は、渡部上席との電話や翌日の川井課長との電話の際に、有効な事前請求ができなかったことについての理由を何ら説明していないのであるから、例外的に有効な年休請求があったと認めることは困難であり、また、実質的にみても、原告が中谷とともに宿泊すべき必要性については必ずしも明らかでなく、原告において有効な事前請求ができなかったことについて、やむを得ない事情があるとまでは認められない(なお、<人証略>は、「やむを得ない事情」の判断にあたっては、休暇の目的を考慮しないとの前提に立ち、本件において原告に右事情が認められると受け取れる趣旨の供述をしているが、本来、事前請求における請求時期、方式の合理的な制限を有効と解する以上、その要件を具備しない請求が有効とされるのは例外的な場合であるから、その請求の当否の判断にあたっては、やむを得ない事情の有無の判断に際して休暇の目的を斟酌することも許されると考えられる。)。また、原告は、一九日以降も年休請求を書面でしていないところ、原告は、局側が原告に対し、年休の事後請求を行う機会を与えず、欠勤扱いにしたものであるから、口頭による請求も適法である旨主張する。しかしながら、一九日の出勤時には、欠務の承認ができておらず、欠勤扱いがされていたとはいえ、その一事をもって直ちに事後の書面による請求ができない事由とはいえず、その他の前記認定の事実経過を考慮しても、原告において事後的に速やかに書面による請求をすることが客観的に期待できない状況にあったとまではいえない。
(三) したがって、平成三年七月一八日の年休については、有効な年休請求があったものと認めることができない。そうすると、その余の点について判断するまでもなく、同日について年休が成立していることを前提とする賃金請求は理由がない。
二 平成五年三月一〇日の三時間の年休請求について、松尾課長の時季変更権の行使は適法か(争点2)。
原告は、三月九日午前九時三〇分ころに翌一〇日全日の年休請求をしたが、午前九時三六分ころこれを撤回し、始業から三時間の年休請求に切り換えた。したがって、松尾課長の時季変更権の行使の適法性を判断するにあたっては、右三時間(午前一〇時三〇分から午後零時四五分までの二時間一五分及び午後一時三〇分から二時一五分までの四五分間)の勤務を欠くことにより事業の正常な運営に支障を生ずるかどうかを検討することになる。
1 年休請求当時に予定されていた原告の一〇日の勤務内容等について
一〇日の原告の勤務の種類は混合担務の中勤であり、勤務時間は、午前一〇時三〇分から午後七時一五分まで、うち午後零時三〇分から午後一時三〇分までは休息及び休憩であった。ただし、当日午後五時一五分以降については、既に二時間の時間病休が承認されていた。担当する主な作業は、午前中は通配三班の補助であり、午後は速達二号便(二区)であった(<証拠・人証略>、弁論の全趣旨)。
2 当時の第一集配課の作業体勢等について
そこで、原告の当該勤務の内容を検討する前提として、当時の第一集配課の作業体勢について検討するに、証拠(<証拠・人証略>)及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。
(一) 当時の第一集配課の職員数は五〇名であり、その人員構成は、課長、副課長が一名ずつ、内務二名(上席課長代理、総務主任)、その余の四六名が外務員であった。
外務員のうち、課長代理二名を除いた四四名は、五班に分かれ、第四班が八名でその余の班は九名構成であった(なお、二班の班長は課長代理が充てられており、この者も含めて、外務を担当できる課長代理は最大三名であった。)。
(二) 近畿郵政局管内の各郵便局における休暇定数は、近畿郵政局において設定し、各郵便局に示している。第一集配課では、外務作業に従事する課長代理を除いた職員四四名のうち、二五の通配区に各一名を充てるため二五名が必要であり、混合担務には八名が必要という理由から、当時の休暇定数は一一とされていた。
(三) 通配担務(日勤のみ。)の業務の概要は、以下のとおりであった。
午前八時に仕事に着手し、通配区二五区に区分された郵便物を担当者が郵便課に交付を受けに行き、午前中の配達の作業にとりかかる。まず、午前九時三〇分から一〇時ころまでの間に道順組立を行い、書留郵便物と一緒に持ち一〇時ころ局を出発する。午後は一時三〇分から作業にとりかかる。朝の残りの郵便物の道順組立が終わっていないようであれば、その道順組立の作業をして、二時過ぎに配達に出る。
(四) 混合担務の者の速達郵便物配達業務の概要等は、以下のとおりであった。
速達郵便は、一号便から三号便まで三回配達がある。配達区は、一号便は五区、二号便も五区、三号便は三区となる(配達区数が違っているのは区域割が違うことによる。)。
その職員配置は、次のとおりが原則であるが、勤務の状況に応じて変更されていた。
便名 区数 職員配置
一号便 五 日勤四名、非常勤(ゆうメイト)一名
二号便 五 中勤三名、非常勤(ゆうメイト)二名
三号便 三 中勤三名
(備考)
* 二号便担当の職員(中勤)三名は、原則として引き続き三号便も担当する。
* 一号便担当の職員四名は、午後は、通常配達の応援をする。
* 右の混合担務の常勤職員の配置は、各班から一名ずつ出すというような配置ではなく、空いている人をそれぞれ出し合うことによって調整する。
一号便の場合は、午前七時四〇分に日勤の課長代理が担当の課の速達を配達区分し、郵便課から速達の書留の交付を受けている。道順組立が終わり配達に出発するのは、一号便で原則として九時から九時三〇分までである。
二号便の場合は、午後一時三〇分、道順組立作業に着手し、二時ころまでの間に書留の交付を受け、二時過ぎに局を出発し、おおむね四時前後に配達を終え、帰局する。
三号便は、郵便課への郵便の到着が午後四時ころ、課長代理が各区に分けて、午後四時三〇分ころ、作業に着手し、郵便課から書留の交付を受け、午後五時に局を出発する。
中勤者の場合、午前一〇時三〇分の出勤の時点で自分の班の道順組立や午後の通常配達の道順組立という作業の補助を行う。
混合担務者に欠務が出るなどして業務に支障が生じる場合には非常勤あるいは課長代理を配置して対応することになっている。また、三号便には通常配達の職員なりに残業発令をすることもある。
3 三月九日午前の時点での翌一〇日の人員配置状況等
証拠(<証拠・人証略>)によれば、以下の事実が認められる。
(一) 九日午前の時点で一〇日の休暇請求予定者は、非番が小林、瀧本、山地、岡、吉野、谷村の六名、計画年休が井上、年休が長澤、鳥居、病休が柳生、荒田、代替が富島の合計一二名であった。
(二) 通配三班には、五名の本務者が配置され、非常勤一名も補助として配置されていた。
(三) 速達配達についての人員配置予定は、次のとおりであった。
便名 一区 二区 三区 四区 五区
一号 石原 仲村 岡元 吉賀 福田
二号 藤本 原告、加藤 秋田 清水、金馬 福田
三号 石原 西田 秋田
(備考)
* 日勤は石原、仲村、岡元、吉賀の四名である。
* 一区一号便担当予定の石原は、現実には当日七時間年休を取得した中川(通配一区)の後補充に入り、代わりに、田中課長代理及び藤本(ゆうメイト、補助)が入った。
* 二区一号便は、九日午後、仲村が自由年休を請求し、加藤(ゆうメイト)と藤田課長代理に変更された。
* 三区一号便の岡元は、現実には、秋田に交替した。
* 二区二号便の加藤は、現実には、通配(一五区)の応援に入り、代わりに田中課長代理が担当した。
* 二号便担当の中勤者は三号便をも担当するという原則からは、本来二区三号便は、原告の担当であるが、当日原告が通院日であり五時一五分での勤務終了の予定であったため、通配担当の西田が超過勤務としてこれを担当するものとされた。
(四) さらに、課長代理三名が担務にあたる予定(日勤二名、中勤一名)となっていた。また、非常勤職員は通配区に一〇名前後配置されるが、一〇日は一六名配置が予定されており、総じて非常勤職員は通常と比べると非常に多く配置される予定であった。
4 以上の事実を前提に、原告の請求した三時間年休が事業の正常な運営を妨げる場合に当たるといえるかどうかについて判断する。
(一) まず、被告は、原告による年休請求の時点で、既に必要配置人員を割り込む状況にあったことを主張する。
確かに、三月九日の時点で、休暇予定者は一二名であり、局が定めた休暇定数一一名を一名割り込む状況にあったことが認められる。
しかし、右休暇定数は、混合担務の必要数を八名としているが、その合理的理由は明らかでなく、むしろ、第一集配課の当時の原則的な人員配置では、混合担務の外務員は、日勤四名、中勤三名であり、八名を基準とすると恒常的に一名の欠区が生じる計算となっていたが、これは非常勤職員が常態的に充てられていたことによるものである(右2(四))。そうすると、右の休暇定数を基準として既に必要配置人員を割り込んでいたと判断できるものではなく、むしろ、原告が年休を請求したときは、実質上必要な人員配置はされていたと解するのが相当である。
そして、第一集配課における休暇付与の実態としては、休暇枠の範囲内であっても、同じ班の人間が半数以上休む場合は年休が不承認ということもあったのに対し、休暇定数枠外であっても年休が取得できることが多く、四名程度超過することもあったこと、速達区については右のとおり常態的に欠区が続いており、速達区に欠区が出ることが予想されてもそれだけで年休が不承認になることはなく、混合の速達担務について非常勤職員や課長代理を配置することによって補っていたこと(<証拠・人証略>)に照らすと、原告の休暇によって事業の正常な運営が妨げられるかどうかの判断に当たっては、単に、本務の職員が原則として必要な数配置されていたかどうかではなく、非常勤職員等の応援状況も考慮して、なお、原告の年休により事業に現実的な支障が生じるおそれがあったかどうかを検討すべきである。
(二) そこで、まず、原告の三時間の年休請求のうち午前中の部分について、検討すると、原告が午前中に担当すべきであった業務は三班の通配担務にかかる道順組立等局内作業の応援であったところ、右業務は本務者の補助作業であった上、当日の通常配達郵便物の数は普段よりも少なめであったこと、三班には本務者のほか、非常勤職員一名が補助で配置されていたこと(<人証略>)に照らすと、原告の休暇取得によって、格別の業務の支障が生じるおそれがあったとは認めることができない。
次に、原告の年休請求のうち、午後の部分(午後一時三〇分から二時一五分まで)について検討すると、午後に担当すべき主な職務は速達二号便(二区)の配達であっところ、被告は、原告の年休が認められれば、原告が勤務に就くのは午後二時一五分になり、この時期は速達郵便物が多く到着することが予想されていたため、原告の出勤をまって速達二号便を処理させては、大幅な遅配が生じることが必至であった旨主張する。確かに、速達配達業務の通常の業務の流れからすると、速達配達のためには午後一時三〇分から道順組立等の準備作業を行い、午後二時一〇分ころまでには、配達に出発する必要があった上、三月初旬から中旬にかけてのこの時期は、大学入学試験の合否を伝えるレタックス等があるため、平常と比べると一日の速達の配達量が倍近くあった(<証拠・人証略>)ことから、何らの手当がなければ、原告の請求にかかる年休は、業務の正常な運営に支障を与える可能性があったものといえる。しかしながら、そもそも当日の速達二区二号便の予定は、原告のほか、加藤が充てられており、同人が非常勤職員で業務の熟達に欠けるところがあったとしても、加藤のみでも配達準備及び配達の相当部分を処理することが可能であったと推認されるし、原告も午後二時一五分以降は、配達作業に従事することが可能であった。さらに、九日の時点で非常勤職員は通常よりも多い人数の配置が予定されていたこと、課長代理も三名の配置が予定されていたことを考慮すると、加藤及び出勤後の原告の作業で業務が遅滞する事態が生じ得たとしても、これは右非常勤職員及び課長代理の短時間の応援により解消できる範囲のものであったと推認することができる(現に、九日午後四時三〇分に年休を請求(事後請求)した仲村については、同日午前の時点では速達二区一号便の担当が予定されていたが、年休請求が認められたため、加藤と藤田課長代理が応援に入りその担当すべき速達郵便を処理しており、仲村の請求がなかった九日午前の時点では、午前と午後との差異はあるものの、藤田ないし他の課長代理の応援により、原告の職務は代替可能ではなかったかと考えられる。)。
(三) そうすると、松尾課長のした不承認(時季変更権行使)は、その要件を欠き、適法とは認められない。
三 本件訓告処分の適法性及び損害の有無(争点3)について
右のとおり、原告のした三時間の年休請求に対する時季変更権の行使は効力を生じないものであるから、東灘郵便局長のした本件訓告処分は、その前提を欠くものであって違法であり、同局長には、右処分をするにあたって少なくとも過失があったといえる。しかしながら、本件処分によって原告が受けたであろう精神的苦痛は、本判決によって被告に年休分の未払賃金を支払う義務があることが明らかにされることによって慰謝されるものであるといえ、原告がそれ以上の精神的苦痛を受けたという事実を認めることはできない。
四 以上によれば、被告は、原告に対し、未払賃金及び同額の付加金合計七四九四円並びにうち右未払賃金三七四七円に対する弁済期の翌日である平成五年五月一九日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払義務があり、原告の請求は右の限度で理由がある。仮執行宣言はその必要がないと認める。
よって主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 森本翅充 裁判官 太田晃詳 裁判官小林愛子は差し支えにつき署名捺印できない。裁判長裁判官 森本翅充)